日常生活を送っていると、次々と欲が出てくると思うんですね。
あれ食べたい、こんな物欲しい、いい仕事に就きたい、お金持ちになりたい、最愛のパートナーが欲しい、理想の自分になりたい、などなど。
悟りを開くために欲を捨てよう!!っていうのも、欲ですよね。
私の場合は、どうしても何かが欲しいというよりは、「面倒なことに巻き込まれたくないなぁ」っていうね 笑、そっちの方が大きいです。
嫌なこと避けたいっていうのも欲ですよね。
欲を活力と感じる一方で、欲に振り回されてへとへと・・・なんていう経験はないでしょうか。
欲望には、とにかくキリがないですよね。
誰かを喜ばせるために自分に嘘をついて、自己を見失ってしまう、ということもよくあるんじゃないでしょうか。
この、「欲望」について、すごく考えさせられたことがありました。
私は以前シェアカフェを運営していました。
Instagramをフォローしてくださっている方のほとんどは、そのときご縁をいただいた方かと思います。
そのとき、もう見性はしていたんですが、それって初期は大歓喜なんですが、大混乱でもあります。
師匠とかが周りにいればいいでしょうけどね。
人間社会は自分が何かをしていると思っている前提の世界ですから、そういう荒い波の磁場に触れると、全然違うレイヤーがちょっぴり見えたぐらいでは、あっさり戻ってしまいます。
悟りって、始まりも終わりもない。
最初から誰もが辿り着いてるんだけど、そのホームの上で起こる変化は無常で、わかった!と思ったら、それもただその時点なだけ。
刻々と更新されていきます。
ちょっと目が覚めたそんな不安定な中、私はそれはもう愚か者で・・・。
シェアカフェでは、自分の好き嫌いはさておき、目の前の人の願いを叶えようということにチャレンジしたんですが、私の中にまだまだ未消化のものが残っていたから、結局、いやもうズタボロになりました。
感謝されたい、尊敬されたい、成果を上げたい、役に立ちたい、私なんて受け入れられない、みたいな、「欠け」を発端にしたあらゆる感覚と感情がすごく上がってきて。
それに、やたら人を助けようとする私は、周りの人のことを、そもそも不完全だと見てるんだなということに気付かされました。
それは、自分自身のことを無条件で十分だと見れていないから、鏡に投影しているんですね。
このときの経験のおかげで、目が覚めはじめたとき、どのレベルの欲望に合わせないか、ということもすごく大事だと知りました。
あなたがふと、とても感動する何かに接触したとします。
それをそこに置いたのは、あなたでしょうか?
それに感動する感受性をあなたに与えたのは、あなたでしょうか?
その感動は、見知らぬ内に発生した縁によって、「起こった」のではないでしょうか?
「私」という個人がここにいると感じる現象も、起きてるんですよね。
それは泡のような、一瞬一瞬の、本当に儚い現象です。
傷や罪、手柄を持った、固定された「私」というものはありません。
そして大抵は、その儚いものの背景に常にある永遠は、見過ごしっぱなしです。
息を吐くことは与えることだからいいけれど、吸うことは搾取だから控えるべきだ、なんて大志を抱いて、自分の意志で息を吸うことだけ止める・・・とか、無理ですよね。
そんなことを信じてしまうと、矛盾によって大変な葛藤が生まれると思います。
できないことを願うわけですから、そのストレスでむしろ欲望は肥大化するでしょう。
無知からスタートしてしまうと、どんなに良いことに見えても、その渇きって終わりがないんです。
この「無知」というのは、そもそもそう信じている「私」とは何者かという認識を誤解していますよ、ということです。
ニサルガダッタ・マハラジの言葉を拝借して。
何を望むのか、人はとても注意しなければならない。
そしてあなたが助けたい人びとだが、彼らもまた欲望を満たすために、それぞれの世界の中にいる。
彼らの欲望を通して以外、彼らを助けることはできない。
あなたは彼らが正しい欲望を持つように教えることができるだけだ。
そうすれば彼らは現状を超え、快楽と苦痛の住処である欲望の世界を創造し、再創造しようという衝動から自由になれるかもしれない。
人間が本当に望んでることってなんでしょうね。
根っこは同じだと思うんですね。
幸せ、豊かさ、愛、平和、自由。
それってフィーリングです。
無形の感覚だから、ほんとはこれが無ければ感じられないっていうものではないですよね。
じゃあ問題って?
増えも減りもしない、この満ち満ちたものの中で、その人の頭の中の考え以外のどこにあるでしょう。
むしろ、問題視という苦悩が無ければ、それだけでなかなか平和で幸せですよね。
願いが叶わないのが苦なのではなくて、その考えに執着していることのほうが苦しみ。
結果にとらわれると簡単に曇ってしまうなと、我が身を振り返って思います。
人間ていうのは、すでにあるもの(今、満足を感じる能力)を無い無いと言って、無いもの(問題と蜃気楼の世界)をあるあると言って強める。
逆さまなことが多いですよね。
欲望は、滋養のある料理を作るときの火のように、人間ゲームを渡りきっていく中で必要なエネルギーではあるけれど、使い方を誤ると火事になる、取り扱い注意だなぁと思います。
で、この「欲望」の内容が、自己認識の位置によってかなり変わってきそうじゃないですか?ということを、次回書いてみますね。

